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​お知らせ

2025.6.9      子育てサークル(弁天スターキッズ) 七夕まつりの様子です

2025.6.7  クリーンキャンペーンを実施しました​ 

2025.6.6     放火防止運動のぼり旗が入荷しました まだ持ち帰っていない町内会の方はコミセンまで取りに来てください。

2025.6.6   弁天まつり実行委員会の決起集会の記事が、中日新聞に掲載されました​ 

2025.5.30   防災体制の一次避難所の資料が古いため、削除しました。

​2025.5.23 5月の日曜サロンは中止となりました

​2025.5.20 城西学区連絡協議会のホームページを作りました

城西学区の紹介

慶長年間に、名古屋城が築城されて以来、城下町の一角として侍屋敷を中心に、城に出入りする商人や職人が多数生活するなど、古くから栄えた学区である。台所町、手木町など旧町名には、当時居住していた職人や商人に関係ある名前がつけられていて、昔の面影を推測することができる。
 明治になると、美濃路沿いに商売を営む家々が建ち、清流が流れる江川の両側には染色工場が建ち並ぶなど、次第に商工業も盛んになった。
 市電の開通と区画整理事業があいまって人口を急増させ、学区は順調に発展をしてきたが、昭和20年(1945年)の戦火により、名古屋城とともに学区の全域が焼失した。
 戦後、昭和21年(1946年)に、俵、花ノ木、上宿の各小学校が統合され現在の学区が誕生している。学区内は復興土地区画整理事業による町並みの整備、地下鉄の開通などによって学区の様子は大きく変わっていった。
 学区の東端には堀川が流れている。名古屋城や城下町への物資の運搬路として名古屋の発展を支えてきた。堀川に架かる筋違橋に立ち川下の方を眺めると、足元には由緒ある堀川、左手には趣のある名古屋城、そして正面には近代的な名古屋駅の高層ビル群と、過去と現在が混在したような一種不思議な光景を見ることができる。

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